鳥山明のデジタル作画|アナログからの移行と変化を徹底解説

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伝説的な漫画家である鳥山明先生の訃報に際し、その死因や理由に関心が集まると同時に、彼の残した偉大な功績が改めて注目されています。

鳥山明は何がすごいのかという問いへの答えは、発行部数や作品ランキングだけでは語り尽くせません。

本記事では、彼の生まれから現在に至るまでの活動、愛知県の自宅や推定される生涯年収といったパーソナルな情報にも触れつつ、創作活動の核心に迫ります。

特に、アナログからデジタルへの移行時期を境にした作画スタイルの変化は、ファンの間で常に議論の的となってきました。

悟空のイラストに見るデジタルとアナログの比較や、映画やテレビ番組での活躍、さらには代表的な漫画一覧や作画一覧を通して、一部で囁かれる絵が下手になった、劣化したという噂の真相にも切り込みます。

この記事でできること
  • 鳥山明のアナログ時代からデジタル時代への作画スタイルの変遷
  • デジタル作画への具体的な移行時期とその背景
  • アナログとデジタル両方のイラストに見られる特徴と比較
  • デジタル化に関する噂や亡くなる直前の活動に関する客観的な情報
目次

鳥山明の功績とデジタル化以前の作品

鳥山明の功績とデジタル化以前の作品
  • 鳥山明の生まれと漫画家への道
  • 鳥山明は何がすごい?その功績とは
  • 愛知県にある自宅と生涯年収
  • 突然の訃報、死亡した理由
  • 代表作を含む漫画一覧
  • ファンが選ぶ人気作品ランキング

鳥山明の生まれと漫画家への道

鳥山明先生は、1955年4月5日に愛知県清須市(旧:西春日井郡清洲町)で生まれました。幼い頃から絵を描くことが好きで、小学校の写生コンクールで入賞するなど、その才能の片鱗を見せていたようです。

高校卒業後は、地元の広告代理店にデザイナーとして就職します。しかし、単調な作業に飽き足らず、約2年半で退職しました。その後、偶然喫茶店で手にした漫画雑誌の新人賞募集の記事が、彼の運命を大きく変えることになります。

賞金50万円に惹かれ、初めて本格的な漫画制作を開始。1978年に集英社の『週刊少年ジャンプ』へ投稿した作品が、編集者・鳥嶋和彦氏の目に留まります。鳥嶋氏の厳しい指導のもとで約1年間、500ページにも及ぶ没原稿を描き続けました。そして同年、『ワンダー・アイランド』でついに漫画家としてデビューを果たします。当初は人気が出ませんでしたが、鳥嶋氏との二人三脚でヒット作の誕生へと進んでいくことになりました。

鳥山明は何がすごい?その功績とは

鳥山明は何がすごい?その功績とは

鳥山明先生の功績は、国内の漫画界にとどまらず、世界中のカルチャーに絶大な影響を与えた点にあります。

最大の功績は、やはり『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』という2大ヒット作を生み出したことです。1980年に連載を開始した『Dr.スランプ』は、アニメ化されると「アラレちゃんブーム」を巻き起こし、発行部数は累計3000万部を記録しました。

そして、1984年に始まった『ドラゴンボール』は、日本国内だけでなく世界的な社会現象となります。全世界での累計発行部数は2億6000万部を超え、アニメは世界80カ国以上で放送されました。この作品の成功が、日本の「MANGA」が世界共通語として認知される大きなきっかけを作ったと言えます。

また、国民的RPG『ドラゴンクエスト』シリーズのキャラクター・モンスターデザインを第1作から担当していることも、彼の功績を語る上で欠かせません。ゲームの世界でも、その独創的なデザインは多くの人々を魅了し続けています。これらの実績から、「伝説の漫画家」「史上最も影響力のある漫画家」と評価されています。

愛知県にある自宅と生涯年収

鳥山明先生は、デビュー以来、故郷である愛知県清須市を活動拠点としていました。メディアへの露出を控えていたため、プライベートな情報は多くありませんが、その自宅はファンの間で有名です。

1982年には『Dr.スランプ』の大ヒットを受け、地元に「アラレちゃん御殿」と呼ばれるアトリエ兼自宅を建設しました。さらに1996年には、隣接する土地に「ドラゴンボール御殿」を増築したと報じられています。

生涯年収については公表されていませんが、その功績から莫大な金額になると考えられます。『ドラゴンボール』だけでも、コミックスの印税、アニメや映画、ゲーム、関連グッズのロイヤリティなどを考慮すると、数百億円規模に達するという試算もあります。さらに、『ドラゴンクエスト』シリーズの関連収入を加えると、その総額は計り知れません。あくまで推定の域を出ませんが、日本を代表するクリエイターの一人として、トップクラスの収入を得ていたことは間違いないでしょう。

突然の訃報、死亡した理由

突然の訃報、死亡した理由

2024年3月8日、鳥山明先生が同年3月1日に急性硬膜下血腫のため亡くなっていたことが、集英社やバード・スタジオの公式サイトで公表されました。68歳という早すぎる死でした。

この訃報は日本国内だけでなく、瞬く間に世界中を駆け巡りました。BBCやニューヨーク・タイムズといった海外の主要メディアも速報で伝え、フランスのマクロン大統領が追悼のコメントをSNSに投稿するなど、世界的な影響力の大きさを改めて示しました。

また、X(旧Twitter)では「#AkiraToriyama」などの関連ワードが世界のトレンドを席巻し、アルゼンチンやメキシコといった南米の国々では、数千人のファンが集まり「元気玉」のポーズで追悼イベントを行う様子が報じられました。突然の知らせは、世界中のファンに深い悲しみをもたらしました。

代表作を含む漫画一覧

鳥山明先生は、長期連載から読み切りまで、数多くの魅力的な作品を世に送り出しました。ここでは、その代表的な漫画作品をいくつか紹介します。

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作品名連載・発表期間特徴
Dr.スランプ1980年 – 1984年天才博士とアンドロイド・アラレがペンギン村で繰り広げるギャグ漫画。初期の代表作。
ドラゴンボール1984年 – 1995年孫悟空の冒険と成長、強敵とのバトルを描いた格闘漫画の金字塔。世界的な大ヒット作。
鳥山明○作劇場1983年 – 1997年『騎竜少年』や『剣之介さま』など、初期の読み切り作品を収録した短編集シリーズ。
COWA!1997年 – 1998年おばけの子供たちが冒険するファンタジー作品。『ドラゴンボール』終了後の短期集中連載。
カジカ1998年呪いを解くために旅をする少年の物語を描いた短期集中連載。
SAND LAND2000年魔物と人間が水不足の砂漠世界を旅する冒険活劇。近年、アニメ・ゲーム化された。
銀河パトロール ジャコ2013年『ドラゴンボール』の前日譚にあたる物語を描いた短期集中連載。

この他にも、多くの読み切り作品や、他作家とのコラボレーション作品などを手掛けています。

ファンが選ぶ人気作品ランキング

ファンが選ぶ人気作品ランキング

鳥山明先生の作品はどれも甲乙つけがたい魅力を持っていますが、一般的にファンからの人気が高い作品として挙げられるのは、やはりその知名度と影響力の大きさから特定の作品に集約される傾向があります。

1位:ドラゴンボール

発行部数、アニメの世界的ヒット、後世への影響力、どれをとっても鳥山作品の頂点に立つと言えるでしょう。特に戦闘シーンの描写やキャラクターの魅力は、今なお多くのファンを惹きつけてやみません。

2位:Dr.スランプ

鳥山先生の名を世に知らしめた出世作です。「んちゃ」「ほよよ」といったアラレ語は社会現象となり、その独特な世界観とキャラクターたちは、今でも幅広い世代に愛されています。

3位:ドラゴンクエストシリーズ

漫画ではありませんが、鳥山先生の功績として外すことはできません。特にスライムをはじめとするモンスターデザインは秀逸で、作品の顔として国民的な人気を誇ります。

これらの作品以外にも、スーパーファミコンの名作RPG『クロノ・トリガー』のキャラクターデザインや、近年に再評価が進む『SAND LAND』なども、根強いファンを持つ人気の作品です。

SNSでの口コミ

鳥山明のデジタル作画への挑戦

鳥山明のデジタル作画への挑戦
  • デジタルへの移行時期はいつから?
  • デジタルとアナログの作画を比較
  • デジタル期の悟空イラストと作画一覧
  • 作画が下手になった?劣化の噂を検証
  • 映画やテレビ番組での現在の活動
  • 鳥山明のデジタル作品が与えた影響

デジタルへの移行時期はいつから?

鳥山明先生が本格的にデジタル作画へ移行したのは、1995年の『ドラゴンボール』連載終了後です。この移行には、明確なきっかけがありました。

その理由は、当時ゲーム制作などで関わりがあったバンダイからMacを譲り受け、使い方を教わったことによるものです。鳥山先生自身、「パソコンが無ければ絵を描くのが完全に嫌になっていた」と語るほど、この出会いは大きな転機となりました。

実際に、デジタル作画への移行が見られる初期の作品として、1997年に発表された短期集中連載『TOKIMECHA』が挙げられます。この作品では、一部の制作工程でCGが使用されました。

これを皮切りに、2000年代以降の作品、特にイラスト制作においては、コンピューターでの作画がメインとなっていきます。『SAND LAND』や『ネコマジン』シリーズなど、フルカラーで描かれた作品が多いのがデジタル移行後の特徴です。

デジタルとアナログの作画を比較

デジタルとアナログの作画を比較

鳥山先生の作画スタイルは、アナログ時代とデジタル時代でいくつかの明確な違いが見られます。

アナログ時代の特徴

アナログで執筆していた『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』の時代は、スクリーントーンの使用が非常に少ないことが特徴でした。鳥山先生は自身のことを「面倒くさがり」と公言しており、「トーンを切ったり貼ったりするのが面倒」という理由から、ベタと線画のコントラストで画面を構成していました。このスタイルが、独特のすっきりとした見やすい画面作りにつながっています。また、均一で迷いのない美しい線も、アナログ時代の大きな魅力です。

デジタル時代の特徴

一方、デジタルに移行してからは、作風に変化が見られます。特にカラーイラストにおいて、これまでのはっきりとしたアニメ塗りのようなスタイルから、境界線をぼかしたグラデーションを多用する塗り方へと変わりました。陰影の付け方がより柔らかくなった印象です。また、アナログ時代は避けていたトーン処理も、パソコン上で行うようになったためか、漫画作品で使用される頻度が増えました。使用ソフトは主にAdobe Photoshopで、イラスト制作ではペンタブレットを使用していたと語っています。

デジタル期の悟空イラストと作画一覧

デジタル作画に移行した後も、鳥山明先生は様々な形で悟空やドラゴンボールの世界を描き続けています。

デジタルで描かれた悟空

デジタル期に描かれた悟空のイラストは、主にアニメ『ドラゴンボール超』や関連映画のポスタービジュアル、ゲームのキャラクターデザインなどで見ることができます。これらのイラストは、アナログ時代と比較して、色の塗り方に大きな違いがあります。前述の通り、PCならではの滑らかなグラデーションや光沢表現が多用されており、より立体的で現代的な印象を与える仕上がりになっています。線の強弱は抑えめになり、全体的に柔らかい雰囲気が感じられます。

主なデジタル期の作画

  • アニメ『ドラゴンボール超』(2015年〜):ストーリー原案とキャラクター原案を担当。新キャラクターのデザインなどを手掛けました。
  • 映画『ドラゴンボールZ 神と神』『復活の「F」』:脚本やキャラクターデザインを担当。
  • 映画『ドラゴンボール超 ブロリー』『スーパーヒーロー』:原作・脚本・キャラクターデザインを担当し、深く制作に関わりました。
  • ゲーム『ドラゴンボールオンライン』『ゼノバース』など:新キャラクターのデザインや監修を行いました。

これらの作品群を通じて、鳥山先生はデジタルツールを駆使し、新しい時代のドラゴンボールの世界を構築していきました。

作画が下手になった?劣化の噂を検証

作画が下手になった?劣化の噂を検証

鳥山先生の作画スタイルがデジタルに移行してから、「絵が下手になった」「劣化した」といった声が一部のファンから聞かれることがあります。しかし、これは技術的な劣化というよりも、作画スタイルの変化とツールの特性に起因すると考えられます。

鳥山先生自身が語っているように、彼の描く線は非常にシンプルです。そのため、わずかな線の揺らぎや角度の違いで、キャラクターの印象が大きく変わってしまいます。プロのアニメーターでさえ、そのタッチを完全に再現するのは難しいと言われるほど、独特のバランスの上に成り立っています。

デジタル作画では、アナログのGペンで描くような「入り」や「抜き」のニュアンスを再現するのが難しく、線が均一になりがちです。また、カラーリングがグラデーションを多用した柔らかな表現に変わったことも、かつてのシャープなイメージとのギャップを生み、「違和感」や「劣化」という印象につながった可能性があります。

要するに、これは優劣の問題ではなく、画材やツールが変わったことによるスタイルの変化と捉えるのが適切でしょう。シンプルだからこそ模倣が難しく、作家本人にしか描けない「味」が、ツールの変化によって異なる形で表現されるようになった、ということです。

映画やテレビ番組での現在の活動

鳥山明先生は、亡くなる直前まで精力的に創作活動を続けていました。特に近年は、『ドラゴンボール』シリーズの新作アニメや映画に深く関わっていました。

2015年から放送されたテレビアニメ『ドラゴンボール超』では、ストーリー原案とキャラクター原案を担当。続く劇場版『ドラゴンボール超 ブロリー』(2018年)と『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』(2022年)では、脚本やキャラクターデザインも手掛け、物語の根幹から制作に携わりました。

また、2000年に発表した漫画『SAND LAND』が2023年に映画化、2024年に配信シリーズ化される「SAND LAND Project」でも、新たなストーリーの考案や新キャラクターのデザインなどで中心的な役割を担っています。

そして、完全新作アニメシリーズとして発表された『ドラゴンボールDAIMA』では、原作、ストーリー、キャラクターデザインのほか、乗り物やモンスターのデザインなど、制作の細部に至るまで関わっていました。この作品は、鳥山先生の逝去後に公開されることとなり、多くのファンが彼の遺した最後の物語に期待を寄せています。

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鳥山明のデジタル作品が与えた影響

鳥山明先生のアナログからデジタルへの移行は、彼の創作活動だけでなく、ファンや後続のクリエイターにも様々な影響を与えました。この記事で解説したポイントを以下にまとめます。

  • 鳥山明は1955年に愛知県清須市で生まれた
  • デザイナーとして社会人経験を積んだ後、漫画家としてデビューした
  • 『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』は世界的な大ヒットを記録
  • 日本の「MANGA」文化が世界に広まるきっかけを作った
  • 『ドラゴンクエスト』シリーズのデザインも長年手掛けた
  • デビュー以来、故郷の愛知県を活動拠点とし続けた
  • 2024年3月1日に急性硬膜下血腫のため68歳で死去した
  • 1995年の『ドラゴンボール』連載終了後からデジタル作画へ移行
  • きっかけはバンダイからMacを譲り受けたことだった
  • アナログ時代はトーンをあまり使わず、線画のコントラストが特徴
  • デジタル移行後はグラデーションを多用した柔らかな塗りが特徴になった
  • 作風の変化を一部では「劣化」と捉える声もあった
  • これは技術的な問題ではなく、使用ツールの変更によるスタイルの変化と言える
  • 近年は『ドラゴンボール超』シリーズや『SAND LAND』プロジェクトに深く関与
  • 遺作となった『ドラゴンボールDAIMA』でも原作やデザインを手掛けた
のどか
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